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【活動報告】昭島矯正展

 

922日、昭島矯正展に行きました。

 矯正展とは、受刑者が製作した製品(=矯正品)の販売や矯正局の広報活動を行うイベントです。地域のイベントとしても機能していて、地元のダンスサークルや小学校などが出し物をしていたりもします。

 

 初に、『記憶~少年院の少女たちの未来への軌跡~』という映画を鑑賞しました。少年院を出る前後の少女4人を描いたドキュメンタリーで、多様な立場の人に考えを促すような映画でした。

 ここでは参加者の感想を紹介します。

 

 

矯正教育による少女たちの変化について

 

映画の中では、少女達が自分達の変化についてわかりやすい言葉で語っていました。例えば、「前は暴力で自分の強さを示していたが、少年院では自分の弱さを認めることも強さだと知った」など、自分の気持ちを正確に言語化できていてすごいなと思ったのですが、次のような理由もあるのではないかと感じました。

 

第一に、矯正教育の中でそういったことを言うと評価されるため。さらに、言っているうちに、少なくとも在院中はその言葉がそのまま自分の気持ちであるように感じるのではないか。

 

第二に、少年院に入っていること自体に正当な理由を見つけ出したいため。無意味に1年閉じ込められているとは思いたくないので、「先生との出会い変化」というストーリーに自分を当てはめて、少年院にいることの意味を見出したいのではないか。

 

というのも、1人の少女が、出院時は先生と抱き合って泣きながら別れていたのに、出院後しばらくしてからインタビューを受けた際は「少年院での1年間は無駄」だったと言う印象的なシーンがありました。

 

在院時の少女たちの言葉が嘘だと言っているわけではありません。恐らく変化のストーリーを語っているときは、少女たちもそれが自分の本心だと感じているのだと思います。ただ、ただでさえ自分の気持ちをとらえ、言葉にすることが苦手な少年少女に対して、以上の2点のような環境は気持ちを吐露させるのを急がせすぎるという点で、必ずしもプラスなことばかりではないかもしれないと思いました。在院中という短期間だけではなく、少女たちが長期的かつ客観的な視点で自分の気持ちを観察できるよう促す働きかけが必要だと考えます。

 

 

 支援の困難さ

 

映画の中では、「職親」が少女を追い出すシーンがありました。

 「職親」というのは協力雇用主のような存在で、日本でも「職親プロジェクト」という制度のもと日本財団が主催しています。

 そのシーンの詳しい事情は不明確だったのですが、少女が職親とのルールを守らなかったことが原因のようでした。

 そこで特に思ったのは、支援者は正しいことを被支援者側に提示してしまいがちだという点です。映画には、少女1人を、職親となった団体のスタッフ2名と保護司の計3名で詰める印象的な場面がありました。3人は「自分の気持ちをはっきりさせないといけない」「はっきり言わないままうまくいかないことを他人のせいにするな」といったセリフを投げかけていきます。しかし少女自身でも自分の感情が分からない、また他人を信用していないので、話せないわけです。もちろんこの支援者3人も、おそらく半年間以上少女に寄り添ってきたはずなのですが、それでも、あるいはそれだからこそ、少女の存在を全人的に受け止めるのは難しいのだと感じました。すべての支援者に対して狭窄なパターナリズムをたしなめると同時に、支援者にも支援が必要だと思い直すことができる内容でした。

 

映画鑑賞後も、矯正展では、お昼を食べたり模擬居室を見学したり、施設内に併設されている准看護師養成所についてお話を伺ったりするなど、非常に充実した一日となりました。